デス・オーバチュア
第219話「天魔の翡翠〜前編〜」



かって東西南北中央の五つの他にもう一つの広大な大陸が存在した。
その大陸最大の強国にして大国だった軍事国家がルーヴェである。
虚無の皇子と呼ばれたルーヴェ帝国の第二皇子、彼が父と兄を惨殺し、ルーヴェ最後の皇帝となった瞬間から、帝国は……大陸は急速に滅亡へと加速していった。
これは、滅亡へと向かう世界(時代)の中で、歴史にも残らなかった小さな物語……。


黒髪の少年は森の中を彷徨っていた。
体中の傷が痛む、大量の出血で意識が徐々に遠のいていく。
「深手を負いすぎたか……再生が間に合わない……僕はまだ……」
少年の意識は闇の中へと落ちていった。


黒髪の少年ノワール・フォン・ルーヴェは絶句する。
目の前の光景が信じられなかった。
「どうした、ノワール?」
黒い長い髪を腰まで伸ばした、背の高い黒ずくめの男は淡々と言う。
「……ルヴィーラ兄上……」
男はノワールの次兄ルヴィーラ・フォン・ルーヴェだった。
ルヴィーラの左手には血に塗れた長剣が握られている。
彼の足下には、二人の男と一人の女が倒れていた。
「なぜだ!? なぜ母上まで殺した!?」
ノワールは倒れている女性の元に駈け寄る。
女性は完全に絶命していた。
「フッ、ザヴェーラ兄上と父上はどうでもいいのか?」
ルヴィーラは倒れている若い方の男を踏みつけた。
「……ルヴィーラ兄上が、ザヴェーラ兄上を殺すのはまだ解るよ……第二皇子のルヴィーラ兄上にとっては邪魔な存在だから……父上も同じ……でも、なぜ母上まで殺す必要がある!?」
「やれやれ、十四歳にもなって、まだ、母親が恋しいのか?」
ルヴィーラはわざとらしく肩を竦めてみせる。
「ふざけるなっ!」
詰め寄ろうとしたノワールの首に、ルヴィーラの長剣が突きつけられた。
「動くな、首を飛ばされたくなければな」
「……兄上には人の情がないのか!? 実の母親まで当然のように殺して……」
「情けなどないな。それに、育ってしまえば親など無用だ。生き恥を晒さないように、父上の後を追わせてやったのだ、母上も冥土で感謝しているだろう」
「兄上!」
ノワールはルヴィーラに殴りかかる。
ルヴィーラはノワールの拳をあっさりと受け止めた。
「動くなと言ったはずだ。もし、私が剣を横に振っていたら、お前の首は飛んでいたのだぞ」
「なぜそうしなかった? 僕も殺せばいいだろう!」
「フッ、私は弟には優しいのだよ」
「それが兄と両親を殺した者のセリフかっ!?」
「あはははははははっ、確かにお前の言うとおりだ。ノワール、お前にはチャンスをやろう、国から出ていくなら命は助けてやる。力を得て私を倒そうとするも、平民として静かに一生を終えるも、お前の自由だ。まあ、私として前者の方が退屈しないでいいがな」
ルヴィーラは心底楽しげに笑う。
「僕を今殺さなかったことを……絶対に後悔させてやるからな、兄上……いや、ルヴィーラ!」
ノワールは兄に背を向け、血に染まった簒奪の王城を後にした。



ノワールは静かに目を開けた。
見飽きた夢だ、いまさらうなされることもない。
「あ、気がついたの?」
綺麗な女性の声が横から聞こえてきた。
ノワールの横に緑の髪の若く美しい女性が立っていた。
緑色の髪は襟首の所で扇状に綺麗に切り揃えられたボブカット、髪と同じ綺麗な緑玉のパッチリとした瞳、肌は象牙のように白く美しい。
瞳もまた髪と同じ美しい緑色をしている。
「ここは……君は?」
ノワールは簡素なベッドに横になっていた。
倒れたのは森の中のはずだ、だが、ここはあきらかにどこかの室内である。
「私の名前はラピス、ここは私の部屋よ。森で倒れていたあなたを拾って、ここまで運んで手当てしてあげたのよ。わかった?」
緑色の髪と瞳をした女……ラピスは明るい声で軽やかに言った。
「……解った」
「よろしい。で、なぜ、あんなところで倒れていたの、坊や?」
「……坊やって……僕はこれでも十四歳なんだけど……」
ノワールは不快そうな表情で、自分の年齢を……もう充分大人だと主張する。
「十四ね……私の方が遙かに年上だから、別に坊やでいいじゃない」
「……ノワール・フォン・ルーヴェ、それが僕の名前だ……」
「わかったわ、ノワール。ちゃんと名前で呼べばいいんでしょう」
「ああ……」
ベッドから立ち上がると、改めて室内を見回した。
机、本棚、ベッド、全てが手製と解る簡素な作りをしている。
「家具は全部、私が作ったのよ。器用なものでしょう」
ラピスはかなり誇らしげだった。
「一人で住んでいるのか?」
「ええ、無窮(むきゅう)の森は本来、誰も入ってこれない場所だから」
「無窮の森? この森のことか?」
「そうよ。外敵の侵入を拒み、出るのも基本的に不可能な森。隠れるにはもってこいの場所よ。まあ、その代わり森以外何もないけどね……」
「出られない!? 僕は……」
「はいはい、話は最後まで聞いてね。基本的にはって言ったでしょう? 例外はちゃんとあるわよ。私はこの森の結界に穴を空けることができる。それに、あなたが入ってきたみたいに、偶然、裂け目や隙間が生まれることもあるの」
「裂け目や隙間が生まれる? それでは結界として不完全ではないのか?」
「完全な結界なんて物理的にありえないわ。仮にできたとしても、それだと空気や日の光まで遮ってしまう……日光と空気が無かったら私も生きていけないわ」
「確かに……」
「解ってくれた? 傷が治ったら、外に送ってあげるから、それまで、ここで大人しくしてね。自力で出ようとしても無駄よ。まあ、挑戦してみるのはノワールの自由だけど……」
「……解った。しばらく、世話になる、ラピス」
ノワールはしばらく迷った後、この森に滞在することを承諾する。
「お姉ちゃんって呼んでいいわよ、ノワール♪」
ラピスは喜色満面な笑顔を浮かべていた。



「日常生活に支障のないぐらいには、回復したか……」
ノワールは大木に寄りかかりながら、体の調子を確認するように手首や腕を振ってみる。
「フッ!」
軽く息を吐くと同時に、大木に裏拳を打ち込んだ。
大木が揺れると、赤い果実が落ちてくる。
「器用なことするわね。それとも、横着って言うべきなのかしら?」
いつの間にか、ノワールの前方にラピスが最初から居たように立っている。。
ノワールは果実を一つラピスに投げ渡した。
「見ての通り、僕の体は回復した。森の外に案内し……」
「駄目よ」
ラピスはノワールに最後まで言わせずに、きっぱりと即断った
「なぜだ?」
「三日であれだけの深手が回復したのは凄いけど……その分、体が普通ではないわね」
緑玉の鋭い眼差しが、ノワールの全てを見透かすかのように射抜く。
「何が言いたい?」
「薬ね。それも、精神力や魔力を爆発的に高めるけど、その分副作用もとても高い……体中に埋め込んだ魔力増幅器……身体改造だけじゃ足りないの?」
「……なぜ、解った? 体の改造なら肌を見れば解るだろうが、薬は見た目で解らないはずだ……」
「殺気立たないで。あなたも果物でも食べて落ち着いたら?」
悪戯っぽく微笑すると、ラピスは赤い果実を一口かじった。
「答えろ、ラピス!」
「お姉ちゃんでいいのに……可愛くない子ね。まあいいわ、答えてあげる。あなたが常時発している気や魔力は疾うに人間の限界レベルを超えているのよ。でも、あなたの力の種類は間違いなく人間のもの。考えられるのは突然変異か、人為的に体を弄ったかのどちらか。体と精神の不安定さを考えると、答えは後者しかないわね。で、埋め込み式の魔力増幅器だけじゃここまで強くも、不安定にもならない……違法薬物でも投薬しなきゃね」
一気にそれだけ捲し立てると、呆れと心配が混じったような表情で嘆息する。
「体を弄った理由は知らないけど、かなり危険な状態よ。人間の体が耐えられる力なんてたかが知れてるんだから……」
「まるで、自分は人間ではないような言い方だな」
「そうだと言ったら?」
ラピスは妖しい微笑みを浮かべていた。
「驚かない、逆に納得できる。こんな所に一人で住んでいるのも、人間には思えない妙な波動を発していることも……」
「もう、ほんとうに可愛くない子ね。顔はとても可愛いのに……」
「余計なお世話だ」
「まあ、考え方を変えたら、性格が可愛くないところも逆に私好みかも……」
ノワールが聞き取れないほどの小声で呟くと、考え込むような仕草をする。
「ラピス?」
「ノワール……面白いものを見せてあげようか?」
「面白いもの?」
妖艶で愉しげな笑みを浮かべながら、ラピスはノワールから距離を取った。
「んんっ!」
ラピスが力を込めると、彼女の背に青い天使のような翼が生えた。
「どう、綺麗かしら?」
「天使……それとも堕天使か?」
「残念ながらどちらでもないわ。天魔族って聞いたことない?」
「ああ、確か、天使を模写して作られた太古の種族だったな。実在しているとは思わなかったが……」
ノワールの答えに、ラピスは満足げに頷く。
「博識ね、ノワール。正確には、神に反旗を翻した古代種族が、神の下僕であり、戦士でもある天使を模写して創った戦闘種族、いえ、殺戮兵器かしらね」
物騒な素性を楽しげに語った。
「明るく言うな。幸せな過去ではあるまい。創造主である古代種族が敗れた後の天魔族の歴史は知っている。一方的に天使達に狩られ続け、一時魔族と手を組むが、裏切られ魔族からも狩られる立場となる。天使や魔族からその存在を忘れ去られた頃には、生き残りは百人にも満たなかった。その後……」
「その後は、額の翡翠(ひすい)目当ての人間達に狩られ続けたわ」
ラピスは額の前髪をかきあげる。
彼女の額には透明度が高く、鮮やかな緑碧色の宝石……『翡翠(ジェード)』が輝いていた。
「人間を憎んでいるのか?」
「いいえ、人間全てを憎んでいたら、あなたを拾ったりはしなかったわ。それに、天使、魔族、人間、生みの親である古代種族、これだけいると誰を憎んでいいのか解らなくなるわね……」
「そういうものなのか?」
「私が産まれた時にはすでにこの状況だったからね。誰に対しても、激しい憎しみなんてないわ。他の天魔族はどうか知らないけど……」
「他の天魔族には会ったことがあるのか?」
「子供の頃はお姉ちゃんがいたけど、人間から逃げている間に離ればなれになって……もしかしたら、お姉ちゃんも亡くなってて……私が天魔族最後の一人かもね?」
天魔族の少女は哀しげな笑みを浮かべている。
「そうか……」
「さてと、私は自分の素性を全て話したわよ。できれば、ノワールのことも教えて欲しいな〜」
ラピスは哀しげな笑みを、無邪気で可愛らしい笑顔に切りかえた。
「泣きそうな顔から、いきなり……まあいいさ、話そう、たいした過去ではないけどね。僕には二人の兄がいた、次兄のルヴィーラ兄上は長兄のザヴェーラ兄上と父上、そして母上を殺した。野心のため……いや、単純に嫌いというだけの理由で……そして、ルヴィーラ兄上はなぜか僕だけは殺さなかった……」
「兄に復讐するために力を求め続けるわけね……救いがないわ……」
「救いなどいらない。ルヴィーラ兄上さえ殺せれば、そのまま僕が滅んだとしても構わない! 例え、敵わないとしても、絶対に一矢は報いてみせる!」
ラピスは諦めたような表情で嘆息する。
「何を言っても無駄みたいね……わかったわ。森の外に送ってあげる。ただし、四日後よ。一週間ぐらい、私と一緒に居てくれてもいいでしょう?」
「……解った。妥協しよう」
「じゃあ、シリアスな話はここまでね。後四日、恋人は無理があるから……姉弟みたいに仲良く過ごしましょう〜♪」
青い翼を羽ばたかせて飛翔すると、ノワールに抱きついた。
「ままごとか……茶番だな……」
「人の生そのものが茶番みたいなものよ……」
冷めきった声がノワールの耳元で囁く。
「…………」
「だから、全力で茶番を楽しみましょう。ごっこが嫌なら、本気になってくれてもいいわよ〜♪」
ラピスはとても愉しげに微笑んだ。








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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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